5:終わりの兆し





雨の中、赤い傘がゆらゆらと揺らめいていたけれど、しばらくすると諦めたように去っていった。

森の影からそっとそれを確認してため息を一つ零す。

会いたい、でも会えない。
会ったら離したくない。独り占めしたい。
誰かと楽しそうに喋っているのを想像するだけで辛くて、
いつも一緒にいたいけれど、だからといって自分の正体も明かすことも出来なくて、
…昔の自分だったら、そんなことで悩んだりなんかしなかったのにな。
今更だけど昔のオマエの気持ちがよくわかるよ、ユベル。
すっかり溶け合ってしまって今は完全に一つになった愛しい精霊に話しかけるけれど、返事は無い。

俺は僕で、僕は俺で。完全に一つになることを望んだのは僕と俺自身で、
自分自身に話しかけたって返事が無いのは当たり前の事だけど少しだけ寂しく思う。

一人は寂しい。

何度繰り返せばいいのだろう、幾度も幾度も繰り返す。
アキの事が初めてじゃない。
こうやって寂しくて寂しくて誰かと触れ合いたくて、手を伸ばすけれど
結局皆、俺の正体を知ったら怖がって逃げてしまうのに、

何でアキなら違うなんて思うのだろう。
いつもそう思って裏切られているのに。

いっそ、ヨハンやエドや万丈目や翔…どうして俺がこうなったかを知っている皆も俺を拒絶してくれれば、楽なのに。
皆の優しさが辛い。

優しくなんかしないでくれよ、俺は悪魔なんだ。
人を喰らう化け物なんだ。

だけど、優しくして欲しいんだ、本当は。
誰でもいいから、俺の傍にいてほしい、ずっとずっと一緒にいてほしい。

やめよう、こんな不毛な考え。
ぐるぐると廻り始めた答えの出ない問いにいつもどおりに考えないことにする。

そうして、そろそろ帰ろうかと思った頃、廃寮に黒い傘の人影が近づくのが見えた。
ちらりと見えた黒い髪に金色のメッシュ。
アキの言っていた遊星とかいうヤツだ。

あいつ、俺を探しているのか。

気がついたら、足が勝手に廃寮に向かっていて、遊星の傍に近づいている。
「…遊城十代?」
ん?と首をかしげる。アキには名前しか教えていないハズだったから。
「調べた。ヨハン・アンデルセン、エド・フェニックス…彼らが在校中に十代という名前の人物は一人しかいない」
「そうか、じゃあ」
俺がどれだけおかしい存在なのか、こいつはわかってここにいるのか。

「本当は雨の日ごとにいつもここに来ていたのだろう?」
「なんだ、それ」
そんなことを言いに来たのか、わけがわからない、何が言いたいのかわからない。
「…アキが寂しがっている、心配している」
「…だろうな」
来るたびに不安げに揺れる赤い傘、力を使わなくたって伝わるアキの気持ち。
「だから、安心させてやってくれ」
言いたかったのはそれだけなんだ。
一方的にそう言って遊星は去ろうとする。

なんだよ、それ。わけがわからない。

「…オマエ、俺の正体がわかっているんだよな?」
「完全に知っているわけじゃない…到底信じられない事柄だが、実物を見たら信じるしかない」
「…アキが危ないから、俺に近寄るなって言うのが普通じゃないのか?」

俺は何を言っているのだろう。

「どうして?」
「過去の資料を、噂を、実物を見ただろう!?あのバカな3人がどうなったか見たんだろ!?
アキも俺に襲われるとか思わないのかよ」
俺はこいつにどう言って欲しいのだろう。
「アキを襲うのか?」
「物の例えだって!! 襲うわけないだろ!!」
「なら、俺は別に何も言う事は無い」
優しく笑う。

「…アキを避けないでやってくれ、俺の言いたいことは本当にそれだけだ」
そうして、遊星は去っていった。
ずるい、ずるい、そんな風に微笑まれたら、どうしたらいいかわからない。
正体を知られてもそんな風に接してくれたのもヨハン達を除けば初めてで、
だけど、あいつはアキのことを俺よりも大事に思っているんだと思うとなんだか悔しくて、泣きたくてたまらない。

ざあざあと激しく降る雨の所為で、もう泣いているのか、濡れているのかもわからない。





アキがこの頃嬉しそうだった。
それは、あの十代がまた再び会ってくれるようになったからで、
あの雨の日…十代に言った事を実行してくれるかどうかはわからなかったが。
どうやらアキにまた会ってくれるようになったらしい。
よかったと、内心ほっとする。

「遊星?」
「いや、なんでもない…よかったな、アキ」
「…うん」
そうやって笑っていると本当に普通の女の子にしか見えない。
…本当は、普通の女の子だ。
最初からずっとそう思っていた。
アキは綺麗で、凄く傷つきやすい女の子で、
皆が恐れる黒薔薇の魔女なんかどこにもいないのだと。

この頃は少しづつだけど、ジャックやクロウ、俺の友人達とも普通に話せるようになってきて、
…相変わらず、アキがデュエルをすると物が壊れたりするけれど、
それもアキは一生懸命どうにか制御できないかと一人で頑張っているらしい。
俺はそれを見守ってやることしか出来ないけれど、それでもよかった。
だから、きっと物事はいい方向に向かうのだと勝手に思っていた。

「ねえ、今度…雨の日にドローパンを十代に持っていってあげようと思うけれど…」
喜んでくれるかな、というアキに俺も笑いかけて頷く。

俺はただ、アキに笑っていて欲しかっただけで、そればかり考えていて
アイツがどんな気持ちでいるかなんて知らなかったし、
アキが本当の事を知って、アイツの事をどう思うかなんて考えもしなかった。





「…十代、何ふて腐れてるんだよ」
「別に、…なあ、ヨハン…このドローパン食べてくれるか?」
「おいおい、いいのかよ、これ…アキって子に貰ったんだろ?」
「いい、いらない」
食欲無いんだ、いや、元々ヒトのような食欲なんか、とっくの昔に失っているのだけど。

遊星と一緒に選んだのよ、と笑うアキの顔を思い出して、むかむかする。
遊星、遊星、遊星、アキは遊星ばっかりだ。

「ほんとーーに貰っちまうぞ十代」
「…やっぱり返せ」
だけど、久しぶりに会ったアキは本当に嬉しそうで
泣き出しそうな笑顔を見て、嬉しくて嬉しくてたまらない気持ちにもなる。
正直複雑すぎて困る。

ぱかりと割ったドローパンは納豆パンだった。
世間的にはハズレのそれは俺にとってはアタリで、ねばっこいそれを齧りながらふと思い出す。
「…今更だけどさ、ユベルがヨハンの事嫌いだった気持ちすっげえわかるぜ…」
あいつ、どっかに消えちまわないかなあ、とぼやくとヨハンが怖い顔をする。

「…冗談だよ、ヨハン」
半分だけな、とは口に出さないまま、また納豆パンを齧る。
甘くないそれはこの前までは美味しいと感じられたのに、今はまったく美味しくない。
この頃本格的に味覚がおかしくなってきた。
人の食べ物が美味しいとはまったく思えなくなってきた。

もうそろそろ限界なのかもな、
俺が完全に人をやめるのも近いのかもしれない。

そんなことを思いながらヨハンと他愛の無い話をして、
ハネクリボーとルビーのふかふかの毛を撫でてささくれた気持ちを落ち着かせようとする。
神様がいるならもう少しだけ、もう少しだけ時間をください。
近づいてくる終わりを感じながら、そんな風に願っていたけれど
現実はいつも残酷だ。

終わりは唐突にやってきた。








それは新聞部が出した他愛の無い内容ばかりの新聞の片隅にあった。
学園の不思議な噂、雨の日の廃寮に出る幽霊は昔この学園にいた遊城十代という少年の幽霊だという話。
遊星が珍しく少しだけ怒りながら新聞部のカーリーに何かを言っていたけれど、
彼女は遊星に謝りながら、
その記事を書いたのはカーリーのまとめていた資料を勝手に拝借した先輩だという話をしたりしているけれど、
私には関係ない話だ。

小さな写真に写る姿は私の知っている十代に良く似ていて、
でも、本当に本人だったらとっくの昔におじさんになっていてもおかしくない年齢なのに、
十代は私達と同い年にしか見えない。

何かの冗談だ。

ぐしゃりとその新聞の記事を握り締めながら、遊星たちと過ごしていた教室を飛び出して、雨の中走り出す。

ウソだといって欲しくて、
実はその人は俺の親戚だとかなんとか言って欲しくて、

だけど、初めて出会った時に言っていたじゃない

俺は悪魔なんだぜ。

あれは冗談なのだと思っていた。
本当だなんて考えた事もなかった。

だけど、本当だったとしたら、
本当だったら、私は、私は…?

「アキ?今は授業中じゃ…休み時間だとしても、早くないか?
それに傘も差さないで…」
びっくりしたような声が私の上から降ってくる。
いつの間にか、廃寮にたどり着いていて、十代が心配そうな顔をして2階から私を覗き込んでいる。

帽子の影からちらりと見えた、はじめてみた十代の瞳は、緑とオレンジ色のちぐはぐの色に輝いていて、
それはどう考えても人の瞳の色じゃなくて、
思わず一歩だけ後ずさってしまった。

「あ…」
ばさりと雨を吸った新聞が大げさな音を立てて落ちる。

あの位置からでも見えたのだろうか、新聞にちらりと視線をやって…
それから悲しげに私を見る。
「ああ、そうか」

ねえ、お願い、言ってほしい。なんだよこの失礼な記事は、って笑い飛ばして欲しい
ただ私は否定して欲しかっただけなのに、
こんな記事は噂なんだって、ただの他人の空似なんだって

カツンカツンと鉄骨の無骨な音を響かせて十代が降りてくる。
それが酷くゆっくり聞こえて、怖い。

そして、私の前まで来た時、
今まで私の前では取ったことの無い帽子を取って、包帯を少しだけ解く。
緑とオレンジ色の奇妙な瞳、微笑む唇から小さく見える鋭い牙、
赤黒くてまるで悪魔のように歪んだ鱗の生えた手。


「なあ、最初に言っただろう?アキ」

俺は、悪魔なんだって。

十代がそっと手を伸ばそうとするけれど、
私は思わず「ひっ」と小さく悲鳴を上げて、びくりと体を震わせてしまった。

それで、終わりだ。


そうだよな、と小さく呟く声が聞こえた気がした。
十代は帽子を被りなおし、包帯を素早く巻きなおして、
足早に立ち去ろうとする。
「…あっ!!」
手を伸ばそうとするけれど、上手く体が動かない。
もう一度だけ、十代が立ち止まって振り返る。

「…二度と、ここに来ないでくれ。
あの意識不明になった連中を知っているだろ?俺は、本当は怖いやつなんだ。
この姿を見てわかっただろ?俺、人間じゃないんだ。
だからもう、来ないでくれ。
俺…アキの事、食べちまうかもしれないし、な?」


十代の笑みがくしゃりと歪む。泣き出しそうな、そんな顔だった。

大事な友達に、そんな顔をさせたのに
拒絶がどれだけ怖いか私は知っていたはずなのに、

私は動けないまま、遊星が追ってくるまで、
呆然と十代を見送ってしまった。










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